その日は丸一日、洞窟のようなさみしい所で過ごしました。
ひとが沢山、そして昔の祐のような小さい赤ちゃんも沢山いました。こんなに沢山のひとを一度に見るのは初めてでした。
可哀想に、あかねは震えてばかりで、外で何か音がする度にひときわ大きく背中を震わせました。
あのひとは疲れた顔をして、そして二人して、背中でわたしを隠しているようでした。
「おい」
がっしりとした男の人が近付いてきて、野太い声を上げます。
「その隠している物は何だ」
あかねは大きく肩を跳ねさせ、金魚鉢を隠し、あのひとは引き攣ったような声で返します。
「あ、地区会長……その、メダカのような物です……家族同然でして、いえ、ほんとに……」
眉をつり上げた男の人は、あのひととあかねの間に割って入り、乱暴に金魚鉢をひっつかみました。大きく水面が揺らぎ、水がこぼれます。
男の人とわたしの目が合いました。ひどく澱んだ目でした。
そうして男の人は、目を見開きました。わたしを見た事による動揺と畏怖が、彼を支離滅裂な激昂へと突き動かしました。
「に、人魚……?!どういうつもりだ、こんな生き物など連れ込んで!
そもそもなんだこれは、得体も知れない……今が警報発令中と分かっての行動か!」
怒鳴り声は鞭のようにあのひとを打ち、気弱なあのひとが腰を抜かしてしまいます。
目に涙をいっぱい溜めたあかねが、大きく息を吸ってから、懸命に言葉を返します。
「いえっ、会長さん、これは人魚などではございません。玩具です」
「……玩具だと?」
「はい、ただの玩具です。その証拠に、ほら、ぴくりとも動かないでしょう」
あかねが一生懸命にこちらを見てきます。
お願い、動かないで、あかねの声が聞こえた気がして、わたしはえいっと背筋を伸ばした姿勢で硬直しました。
会長さんは金魚鉢をためつすがめつしてから、投げるようにしてようやくあのひとに鉢を返しました。
「子供騙しの玩具を防空壕に持ち込むなど言語道断。呆けもいいところにしろ!
--以降、このような事がないように」
そう言った会長さんが去って行くのを目で追いかけ、緊張が解けたのか、あかねは声を抑えて泣き出しました。
あのひとも天を仰ぎ、消え入りそうに一言、呟きます。
「……祐。こんなものが、戦争か」
ノルウェイ育ちのわたしにとって、この日本という国は未知の世界です。見た目も言葉も、何もかもが違いました。それでも信頼のおける民族だと思っていたのに。
まさか同族間の争いを始めるような愚かな民族だとは、夢にも思っていなかったのに。
ともかく、それで始めて、わたしは「戦争」を知ったのです。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!